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午前3時の泥棒猫

アーテストと原発

自分はアーティストではない。
不出来な職人さんと言ったほうが腑に落ちる。

仕事をするのにエネルギーは必要だ。
が、こうしてパソコンをカチャカチャいじって、
もし、その電気を原発がまかなっていれば、
どれだけの放射性廃棄物を作り出しているのか。

いまだ科学を信じるが、経済と繋がらなければ科学が導きだすものは実現しないよね。
経済は人のこころと繋がらなければ、速攻ぶっ壊れる。
栄枯盛衰、最近はそのサイクルが早すぎて目が回る。

大岡越前ばりに、みんなで損して、やり直したらどうか?なんて思うけど、
それは叶わないだろう。
だれかが損をして、だれかがうまいことやる。
それが経済なんじゃないかしらとも思う。

さて、物作りの職人の立場からは、その経済とベッタリ蜜月、寄り添って行かねばならない。
ジレンマがある。
どうしたらいい?
疑問符だらけだが、じたばたみっともない姿を晒すしかない。それが自分のやり方。

少なくとも、アレに関して、手におえないものは止めなきゃならない。
いけいけどんどんではもうダメだってことを思い知って欲しい。
この国の原発政策は、残念ながら失敗でした。間違った。
間違ったらそれを正すための次の科学を信じて、夢を描こう。

今はそこ。

アーテストと原発_b0158550_15986.jpg


んで、モノ作ったりの立場で今後を考えたいんだけど、その前に
ほんと…ぐるぐるしてしまう。

あまりのことに非力さ無力さに苛まれてしまう。

子供、女性が傷つきやすいと聞けば心底不安になる。

国や企業やその他無責任な輩を思えば腹が立つ。

一個人のことでほとんど手一杯です。

今回の事故、災害に対して直接のリアクションは、
募金をして復興を支えたりしつつ我が身、我が家族、友達を守ろうと思ったこと。
そして、前回書いたように、食べるものを選んだり。
子供が手を触れるところを掃除したり…が、精一杯。



さてそんな中、アーティストがやれることは…???

たとえば岡本太郎の絵に継ぎ足して物議を醸し出した団体「チンポム」のアクションは、
正直、まったく響かない。彼らなりに、まずは動いたことは評価するけど、
こっちはドキドキしない。グッとこない。
…ん?
…ああ、自分の中でアートというものは、胸がときめいたり、
言葉を失うほど感心する事象や対象物のことを定義しているのだ、と今気づいた。

ちょっと話は飛びますが、
ある報道でチェルノブイリから避難した人たちがその後暮らしている町の市場の様子をみました。
食材の線量を慎重に測り選んでいること。徹底したその体制に感心したものです。
で、これはアートとは違うのかもなのですが、ふとコメンテイターがこぼした感想に納得したことがあります。
たまたま、市場に売られているものの中に、見事な色合いの花々がありました。
それが人々にもたらしているものがあるのかもしれません。
花の持つ美しさが、事故の影響を受けてしまった人たちを癒してくれているのかも…と。

ひとつの方法として、アーティストはそれに匹敵するものを創ることができるかもしれないなあ、と
そう、思いました。
# by boomee | 2011-09-03 01:06 | 絵描きのあれこれ

恥ずかしいけれど、今

んー。正直にいうと、ここにきて思考が止まりがち?なので、ノートに記す。
備忘録、みたいなものを兼ねつつ、目の前に立ち塞がったアレコレに、どうしよっかな?といろいろ思いあぐねてみてみる。どこか確信が持てないのだけど、なんとか見つけてみたい。
なんだか甘くて笑われちゃうぐらい矮小なんだけど、それが現在の立ち位置。

震災への思い。

以前から自然のやることに、人間なんぞは太刀打ちできないのに…まったく図々しいものだ、と思っていた。ずいぶん高い目線だな、何様ですか(笑)。いやさ、それは大人になってから釣りを趣味にして水辺に立つことが多くなり、直接肌で感じて身に染みたこと。どんなに快適を求めても、そんなもの叶うわけもなく、自然は都合良く振る舞ってはくれません。簡単言えば、暑いし寒いし、臭いし、危ないし。囲ってみてもすぐ溢れるし、せいぜい制御できたつもりでも自己満足みたいな結果ばかり。砂の城。それと付き合っていくしかない、とてもちっぽけな、ただの生き物としての人間のスタンスを思い知りました。
そしてなによりも、それをとりまく人の考え方や行動が自己中心的で、決して相容れず、ぶつかる事実。侮り、怒り、自分の正しさを振りかざし、いがみ合い、喧嘩して、辟易、言葉を失ったりして。結局は何も変わらず、無力さ非力さにうちひしがれる。

今回の地震、そして原発の事故もそんな感じ。
企業の責任は追求され、国策の失敗は正されなければならないんだけど、起こってしまったことは、もうどうしようもない。みんなで負債を抱えたようなものです。
事故で振りまかれた目に見えない物質の所業は、やがてつまびらかになるでしょう。それがはっきりするまでには、解る範囲、出来る範囲で行動していくしかない。でもふわっとした部分が多くて判断が難しいよ!政府や自治体、企業、流通までに対して、一連の態度でこちとら不信感に満たされてしまった。放射性物質に関して、それと付き合っていくしかない現状で「危ない。いや大丈夫」」の間を揺らぐ振り子状態。そして面倒になり、目をつぶり、まるで手からこぼれる砂に必死にすがるように今までのやり方、在り方を続けるしかないなんて結論に。さらには、考えない方法を取るひともいた。

世界は変わってしまった。

激しい被災地の方々のことを思うと、身がちぎれるような想いになる。
復興に向けて取り組んでいくが、どうしても傷は残っちゃうだろう。
色々なかたちで、この先何十年もちくちくと痛む。
全国的には、エネルギー問題のあれこれや、内外イメージの払拭の努力、税金がのしかかる。
生活においては流通してしまう食品の不安からは逃れられない。
復興はする。絶対にするのだ。けども、バランス良くやらないといけない。
児童、幼児、妊婦は守りたい。
子供が遊ぶ場所である庭の土をさらってまとめてみたんだけど、はたしてこれはいつまでこうしておくのだろう?何処に持って行けばいい? 誰が、ひきとるんだ?
タダシイオトナが態度で示さなければ、あっけなく皆の不安は膨らむよ。

ガタガタと崩れていく既存のシステム。
なによりも、さきゆきを曇らせる心の在り方。不安。
失望を感じるのは容易い。
あの日、痛めつけられたのは被災地はもとより、この国に住まう人たちのこころもかなーりダメージ受けたんだ。天真爛漫に目をつぶることもできるけど、それは意図する時以外はしたくない。

もちろんこれは直接の被害を被った人たちとは違った、とてもとても甘っちょろい立場からの「うろたえ」です。とはいえ、自分だってあの日、産まれて初めての大きさで揺さぶられ、出先から帰るに帰れず、家族や友人の安否に心底不安を抱いた。
近くの海沿いのコンビナートがある辺り、空が赤く燃えているのを目撃した。
液状化してアスファルトに広がる泥、灯りを失った信号、倒れた電柱。
地方へ家族を送り出し、ひとり、小さな灯りで過ごした。
程度の差はあれ、恐怖を感じ、失望をし、思いあぐねた寒い夜。
あの日からずっと、希望を探しているようです。

おまえはどうする?

震災当時、福島の原発がぶっ壊れた時。
かつて原発関係に携わっていたワケ知りの聡明な知人に
「とてつもないことが起きた!」「恐ろしい!」「君はアクションを起こさないのか?!」
と詰め寄られた。
彼の経験と見識から知り得た事実と恐怖を鼻先にぐいぐいと押し付けられた。
大声で
「逃げろ」「恐怖を知れ」「企業を吊るし上げろ」「おまえもやれ」
そうしろ、という。
外には出るな、外気を入れるな。
原子炉からやっかいなのが大量に垂れ流されて飛んでくる。
放射線を避けるには、ずっと風呂に浸かっているしかない。
企業の酷い有り様の告発、その他その他…。

事情を知っていたからこそ、伝えたかったのだろう。

自分には、それを現実に対応するには知識がない上に確信もない。情報も事実も曖昧だった。
ただやみくもに、その恐怖をあたりに伝染させるのは出来なかった。
ましてや、こんな自分がなんとかやれることは、家族と仲間を守ることだけ。家族を地方に送り、知り合いの妊婦と幼児を持つ親にはできるだけ離れ、防除して食材に気をつけるように伝えること。今も変わらない、最低限のアクション。

訳知りの彼にとっては最低なリアクション。のれんに腕押し、イライラしたことだろう。
やがて、東電か下請けかが作業経験者をのきなみ集めはじめたらしく、彼は現地へ向かうのか、僕の前から消えていった。
…実はどこか、彼が羨ましかった。
彼は技術者として必要とされたからだ。
この事故を止める要員として活躍できるから。

関係者や技術者や、大きな被災者でも無い、自分。
それは、とてつもない無力感だった。
薄い当事者感に、やみくもに不甲斐なさに苛まれた。

誇りに思う友人たち

幼なじみの友人がいる。
彼は元自衛官であり、数々の災害派遣に携わっていた。
御巣鷹山や阪神淡路にも出向いた強者だ。
退役をし、別の仕事に就いていたのだけれど、非常時の招集に任意で応えて被災地へ向かった。彼は少し体調を崩していたし、苦労の末に家族との生活を手に入れたばかりなのに、出かけていった。たとえ屈強な輩でも、不安もあったことは容易く理解できたのに、彼は選んで、すすんで現地に向かった。
心底、誇りに思った。
本当は行って欲しくなかったけれど、口が裂けてもやめろなどと言えなかった。だから、あえて激励を送った。
つい、少しだけ、あの知人の警告を伝えてしまったことがあった。
放射線量に気をつけてね…
彼は「大丈夫!」と言うだけ。…そう答えるのは、どこか解っていた。
あたりまえだ、自衛隊はプロ集団。素人が思いあぐねる程度なんか、はるかに凌駕してる装備と準備。士気も高く行動力もある。
それでも現地での活躍は困難を極めたんだって。

後日、現地での壮絶な体験を聞いた。
背中に赤ん坊をしょったままがれきに埋まっていた親子の姿。それを見つけた後、見守るようにずっとそばに居続けた若者。
男や女、老人や若者、ランドセルをしょったままの児童、
海岸線にがれきと見間違うほどのたくさんの遺体が打ち寄せられている景色。
家族を失い、ひとり家の建っていたところに通いつづける女の子。
被災者の、あの瞬間の話。
酷い目に会ったのに、隊員を我が子のように労をねぎらう老人達の涙。

聞きながら、うっかり涙があふれることもあった。
彼は今も後方から支えている。

自分の仕事関係でも速攻現地に赴き、がれきを片付けたりする知り合いもいる。
普段はデスクワークだったりするのに、徒党を組んで速やかに行動するその姿。
これも心底、誇りに思った。

そして

さあ、自分はどうするのだろう?
なにができる?

家族の生活を守らなければならない。
愛しいひとたちがここにいて、その支えにならなければならない。
責任を持って、今関わっている仕事を納めなければならない。
今は、ここを離れることができない。

何も出来ない自分。
免罪符が欲しいのか。
即行動できるひとたちに憧れてしまう。
チャリティに参加すること、なけなしの募金活動、仕事で経済を回すこと。
今出来ることはその程度だけど、心を込めてやろう。そう考えていた。

現地で作業にあたっている人たちにエールを。
被災者が笑顔を取り戻せるきっかけになるような仕事に携わろう。

ハードが整ったらソフトが必要だ。
これからの何年間、自分のやらなければならないことがある。

壊れたもの、失ったものは仕方がない。
片付けて作ればいい、また創って手に入れればいい。
どんなに時間がかかろうとも。

その原動力、気力のようなものをどこかからひねり出さなければならない。

明日のこと、やがてくる未来のこと。
シニカルなポーズで悪態をつくような真似は、もう出来ない年齢だ。
ポンコツなアダルトチルドレンは自分を棚に上げがちだけど、切り替えるこころの準備はできたよ。

こちらが出した汚れたものを取り除く努力をすることで
やがて修復されていく、自然の力もある。

かつてどこかの水辺で目の当たりにした景色を思い出す。
短時間で人がしでかしたことを、長い時間をかけて自然が元に戻していく。
その助けを、ちっぽけでも、やっていこう。
なにより、我々のこころのありかたを見つけるために、やっぱり
「とんちんかんでも明るい未来を目指す」のが、自分の仕事だ。

人は弱く儚い。でも強い。
滑稽であり、だけど美しくもある。
惨めでもあり、時に神々しくもある。

その姿すべてを誇りに思い、讃えていく。
それが自分のやるべき仕事、なのだ。と思い込むことにする。



チンポコン!
# by boomee | 2011-08-06 09:50 | メモ

定年

今日。
あと二十年加えれば、
世に言う定年の年齢になりました。

とはいえ、会社員でもなんでもない、
果たして世の中に役に立ったり、
必要とされているかは疑問な商売と身分です。

いえ、あくまで自分自身の話ね。
研ぎすまされた職人や、ひとのこころ動かす芸術家になれたら良かったけど、
ホントのそんなひとたちに出会っちゃうこともあったから、
冷静に自分の能力、立ち位置がわかります。
私がやっているのは、
河原で舞台を立てて踊るような仕事です。
いわば、

お座敷にお呼びがかかるまで。

が、雇われ絵描きの生涯です。
ひっそりと呼ばれなくなったらそれが定年、なんでしょうね。

…こんな物言いは卑屈に聞こえるかもだけど
諦めとかそんなんじゃなく、からっーんとした正直な気持ちです。

程度の差はあれ、自分だって、
死ぬまで芸に磨きをかけ、時代を見据えて、
応えていかなきゃいけない。
だけど、スザマしい勢いで時代が変わって行きます。
世の中にどれだけ役立っているか?なんて考えるだけ空々しい。
けれど、縋るように信じ、自分で正当化した生業を
振りかざすようにして鼓舞して、手を動かし続ける。
才能や機会に恵まれないのは自分の所為ですしね。

時には、守るべきもののために、
自らムシロを広げて柳の下で手招きもしましょう。
また時には、求めるひとに伝えられることがあれば、
全身全霊で応えましょう。

つまりはただ、今日と明日のことしか考えられず、
突っ走っているだけなんですけども、
ここ最近の出来事や、子供たちのことを考えれば
来るべき未来のために、無様であっても、とんちんかんでも、
走り続けるのが、やっぱり自分の仕事なんだと思います。

リタイアの通知はいつかひっそりと来ますが、
その後も何処かで誰かの役に立つように仕事を重ねておいて、
その日を迎えたいなあ。

そして、ニュースに取り上げられた方々のように、
覚悟を決めて挑める爺になりたい。
手を挙げることができる、その責任感と心意気。
あ、でもこれって絶対に帰ってこなきゃ駄目なんです。
満開の桜の木の下で「パーフェクト…」って息絶えるのは
映画だけにしてください。

ホントに格好いいのは一見格好悪い?姿も晒せる強さ。
最後まで「自分はこれが出来ますよ」と胸を張れる、
そんな大人の仕事ぶりを腑に落としたい。

それまでは、走ります。

…誕生日でしたので、
気恥ずかしい自分語りをしてみました。

原発作業へ「リタイア組」志願
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1607292&media_id=4

僕たちリタイア組がやるしかない」。福島第1原発の事故対応の長期化が予想される中、元技術者の山田恭暉さん(72)が発起人となって、収束作業に当たる「行動隊」結成を呼び掛けている。建屋での作業も念頭に置いているが、既に約130人が参加を表明しているという。

 山田さんは東大工学部を卒業後、住友金属工業で勤務し、プラント建設などに従事。原子力に関する知識もあり、事故が深刻な事態に至ることはすぐに分かったという。

 「ロボットを遠隔操作しても、最後には人間の目と手でしかできない大事な仕事が残る。高い放射線量の中で若い人がやったら、子供ができなくなる危険性もある。被ばくの影響が比較的少なく、技術も分かる僕たちのような退役組こそ適任と考えた」と語る。

 山田さんは4月上旬、友人や元同僚らにメール500通、手紙2000通を送った。ホームページも立ち上げ、「次の世代に負の遺産を残さないため」として、原則60歳以上で現場作業に耐えられる体力、経験を条件に志願者を募った。

 東大名誉教授、元自衛官、大型クレーン運転手、元溶接工、とび職など多彩な人材が名乗りを上げた。通訳の佐々木和子さん(72)は「何かできないか考えていたら、山田さんが声を上げたので飛びつきました。最初は断られたけれど、女性でもできることはあるはず」と話す。

 東京電力が収束の計画を作り、協力企業やその下請けなどに実際の作業を頼る現状は、山田さんの目には心もとなく映る。原発安定化への作業を、政府主導の「国家プロジェクト」に格上げするよう提唱、与党の国会議員に働き掛けてもいる。

 政府や東電から行動隊の計画が認められれば、実際の作業に備えて、防護服などを着用しての訓練に入りたい考え。
 
時事通信社
# by boomee | 2011-05-19 23:53 | 絵描きのあれこれ

最後の授業

今日が最後の授業でした。

正直、総括なんてできなかった。

伝えるべきことは授業で言った。
いまさらなにを言えるだろうか。

もう、ただただ、これからのことが
うまくいくように祈るだけだ。


ので
教室の片隅で、最後の景色を眺めながら
ままならない成績付け作業に没頭してた。
提出数の少ない生徒さんにはっぱをかけたり
ああ、だめだー!日数足りねえと肩を落としてみたり。

できれば、みんなして修了して欲しい。
最後の最後、この想いは届くだろうか?

コーラを一杯だけ呑んで帰った。
こうして、皆の顔を一人一人、思い出す。

そんな夜。
# by boomee | 2011-03-11 03:24 | やかんこうし日記

初日 

そして楽日が刻一刻と。

短い時間だったよ。

伝えたいこと、伝えるべきことを
今年はとにかくがむしゃらに動いた。

生活もあるから、はっきりいって薄給のあそこに
自分の時間を費やすのは自殺行為だった。
それでも,出来る限り、関わったつもりだよ。
力不足は否めないけれど、僕なりに、つま先立てて指を指したんだ。

結果はどうだろうか。
みんな満足してくれたろうか。
それとも物足りなくて、不満いっぱいだろうか。

正直、どんなに頑張っても「寄り添う」のが精一杯。
よかれと思って投げたボールは
空しく地面を弾んで向こうへ転がることもある。

それでもいい。

なにがきっかけになるか、解らないから。
彼ら彼女らのこの先は、本人たちが切り開いていくこと。

俺の出来ることは、せめてもの夢語りか、
みっともなくても足掻いている姿を晒すこと。

ねえ、みんな。
春が来るよ。
みんなが旅立つその日は、きっと俺は
泣いちゃうかもね。まさかね。
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# by boomee | 2011-03-09 02:06 | やかんこうし日記