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午前3時の泥棒猫

すがる

時折、悶絶するほど孤独と不安に。だけど嗚呼、絵があるぞ。大丈夫。
# by boomee | 2011-03-06 06:34 | 絵描きのあれこれ

君たちへ

特別に講演者を招聘した。

この春学校を卒業、これから巣立つ人へ。
すでに卒業して伸び悩んでいる人へ。

現実的なシミュレーションや,リアルなお金の話。
あいまいだった取り組みを仕事ベースに考えなおすこと。
シーズとウォンツとニーズ。
その他、モチベーションをあげること。
すべては、コースに関わった生徒の為に。

しかし、盛況な会場を見て、
トップから苦言を呈される。

難しいものだなあ…と落ち込む。

学校ってなんだろう。

ビジネスであることは重々承知しているが、
長い目で見て、現役生のみならず卒業生にもメリットがあれば、皆が得をする…そう確信している。
ただし、積極的な行動をとったものがメリットを得るという、不公平感?は否めない。
ましてや、授業料を支払っているという現役生をさしおいての受講は
確かに「いかがなものか?」だろう。
しかし、経験も考察も少ない現役生になにが答えられたろうか。
すこしでも仕事として絵を描いた人間が問うた質問は、現役にとっても有効である。

つまり、現役生にとっての未来の姿が、卒業生だ。
メリットは均等に与えられている。

メリットを活かすかどうかは個人差がある。
それが在校生であろうとも、現実感が無ければ曖昧にしか活かせない。

彼ら彼女らが、抱いた夢を仕事に出来るかどうか。
続けて描いていけるかどうか。
絵を、仕事を愛してくれるかどうか。

そのきっかけの場を提供することを惜しむつもりは無いのだけれど
一介の雇われバイト講師の想いなど、誰にも伝わらないかもしれない。


それでも、自分を信じて、俺は行く。
# by boomee | 2011-02-21 03:04 | やかんこうし日記

アートとはなんぞや?

art とはなんぞや!

と、マフラーたなびかせて格好つけて考えると
それが絵とか彫刻、それに限らず
料理で出される食べ物だったり、スポーツの試合のある瞬間であったり、
もう、なんにだってその要素があるのではと思ったり。

つまりは、ひとの生き様というか有様というか、
それが顕れているモノ、それが人の気持ちを揺さぶる瞬間、
…ふわっと思ってるのだけど、それがartなのかも、です。

日常をなんとかこなすのが精一杯。
そんな自分がartと関わることがあるのか、と思いがちですが
いやいや、だからこそ、毎日、毎瞬間に芸術を見いだすことは可能。
つまりは、変に有り難がったり、わからねーと拒む必要も無い、
ただ、感じていくことなんだと思います。

芸術家は、それを顕著な姿にする役割の人。
だれもが芸術家の立ち位置に立てる。
意識をしても、しないでも、振る舞う姿や考えることを提示することで
誰かが触発され、また自身も反応するなら、それは芸術活動かも。

んで、モノでも時間でも、作品を作ってみせるひと。
とりまく環境をつくるひと。

芸術家にもいろんなタイプ、見せ方がある。

面白い展示に出会えたことを嬉しいなあとつくづく、思う。

ACT Final Weeks 2010
開催日程:2010年12月14日(火)~26日(日) ※会期中は休まず開廊致します。
アーティストトーク&パーティー:2010年12月18日(土)17:00-20:00
会場:The Artcomplex Center of Tokyo (ACT) ACT1, 3, 4, 5
住所:〒160-0015 東京都新宿区大京町12-9
TEL/FAX:03-3341-3253
http://www.gallerycomplex.com/afw2010/k.html
# by boomee | 2010-12-19 19:55

かけもち

都内と千葉で単元を受け持つ。

相変わらず手探りだけど、なんとかやっている。

夜間コースとは違って、千葉は二年制の新人育成。
平均年齢も低い。
地方のおおらかさというか,緩さもある。
志というか、希望もまだあやふやだ。

だから、決め打ちな授業が出来なくて、なんともまったり進行。
実際、他の先生の、生徒の扱いはまるで中高生のようで戸惑う。

生活指導?そんなものは考えない。
けれど、人と人の付き合いに年齢は関係ない。そのへんだけ,押さえよう。
まあこちらが年齢上だし、ついやってしまうのは、自分の子供に対する目線と同じ。
つまりは、優しい?つか、…甘いのか(笑)
「厳しくやってください」
主任教師にたしなめられたこともあるが、俺だし、なあ…(笑)

受講生にとっては、
なにかのきっかけになればいい。

そう自分に言い聞かせてはいるものの、なんとも心許ない。
# by boomee | 2010-10-03 21:53 | やかんこうし日記

Solitude

まだ、
いくつもりなんか
なかったんだろう。

いつまでたっても終わらない夏のある夜、突然、父の胸の鼓動が停まった。

きっかけは、擦り傷を作るような、ささいな出来事。

食あたりのような症状が出て、母の手に負えなくなって、隣に住む兄が助けにいった。
身体を擦ったり、向きを変えたり。
やがて、出すもの出して、落ち着いて、明日も仕事のある兄は、引き上げた。

しばらくして、またおかしくなったらしい。

兄が再び駆けつけて面倒を見たが、今度はあからさまに何かが違った。

そして、その瞬間が来た。

あっけなく、まるでスイッチを切ったかのように身体から、いのちが抜けていったようだったという。

心臓マッサージを施しても、もう、蘇生することは無かった。
搬送先で、機械で無理矢理動かしていた鼓動を自然のままにするために、スイッチを止めた。
深夜1時過ぎのこと。

月が明るい夜だった。


それまでは、持病をこじらせていたから本人も周りの人も、余命は少ないかも、と覚悟はしていた。
けれど、慎重な性格で医者にもちゃんと係り、身体をいたわって過ごしていたため随分と長持ちした。大きく調子を崩すこと無く、思いのほか平穏で、どこか安心していた。
(もちろん、本人は不調で辛かったと思うけど)


自分自身、盆休みに帰省して彼に会えた時にも、

また会える

と、たかをくくっていたぐらいの普段通りの様子。

ほんのすこし、何十分かの時間を一緒に過ごし、さっさと東京に向かった。

別れ際に、

「元気で。
なんかこんなこと言うの変だけど、長生きしてくれてありがたいよ。
田舎にあなたたちがいてくれる、ってのは、やっぱり、安心だよ」

僕が言うと、
照れたような、なんの感慨も無いような、いつものような顔で、

「ああ、またな」

それが最後に言葉を交わした時だった。


もともと、言葉の少ない人だった。
ただ静かに、つと立っている姿。
居間の奥で本を読んでいる姿。

僕が我侭を言ったりしたきっかけで癇癪を起こした時は、恐怖だった。
殴ったり、踏まれたり、水ぶっかけられたりしたよ(笑)

正直、苦手だった。

言葉は無い。手が出る。それ以外は不可侵。昭和ひとけたの男。
顔色、機嫌を気にするぐらいなら、離れていよう。
そんな父と子。

末っ子であることを利用して、早々と家を出たけれど、その割には何かにつけて父を頼っていたかもしれない。父が守っていてくれた環境から離れて、独りで奮闘しているけれど、彼の作ったものには遠く及ばない、今の自分の身の回り。それを静かに見守っていてくれた。
不器用な関わり方だけど、ちゃんと愛されていた気がする。
涼しい瞳だけど僕を見ていてくれて、必要な時には、ちゃんと助けてくれていた。

晩年になっても、
あいつは大丈夫だろうか?
ちゃんと暮らしていけるだろうか?
なんて心配してくれていたらしい。


…最後まで心配かけっぱなしで、ごめん。


亡くなった顔をみると、本当に穏やかな顔をしていた。
静かに目を閉じ、口を結び、男前だった。
禿げ上がった頭は凛々しく、格好よかった。
眠っているようだった。

急に心臓が止まったから、まだあっちに行くつもりは無かっただろう。
だけど、こんな穏やかな顔をしているなんて。
彼は覚悟を決めたのだろうか。


棺に納める頃には、顔つきがだんだんと変わり、他人のようになっていく。

そして、ふと気がついた。
誰かに似ている。

祖母の顔にそっくりだった。
つまり、父の母親の顔。

幼い僕を育ててくれた祖母の顔を何年ぶりかに見た。
あたりまえだけど、でも、なんだか

そうか。

と、思う。

父は先に逝った自分の母親のもとに戻ったのかもしれない。

大人とか父親の役割を終え、子供になって、母に抱かれにいったのだ。

父さん。おつかれさま。

もう充分、尽くしてくれたから、

いい歳こいて心配かけて申し訳ないけど、
きっといつか、貴方に認められるような男になってみたいと
本当にそう思ってるから、

ばあちゃん、いや、お母さんのもとにいって甘えて下さい。

ありがとう。

さようなら。
# by boomee | 2010-09-24 22:04