午前3時の泥棒猫

恥ずかしいけれど、今

んー。正直にいうと、ここにきて思考が止まりがち?なので、ノートに記す。
備忘録、みたいなものを兼ねつつ、目の前に立ち塞がったアレコレに、どうしよっかな?といろいろ思いあぐねてみてみる。どこか確信が持てないのだけど、なんとか見つけてみたい。
なんだか甘くて笑われちゃうぐらい矮小なんだけど、それが現在の立ち位置。

震災への思い。

以前から自然のやることに、人間なんぞは太刀打ちできないのに…まったく図々しいものだ、と思っていた。ずいぶん高い目線だな、何様ですか(笑)。いやさ、それは大人になってから釣りを趣味にして水辺に立つことが多くなり、直接肌で感じて身に染みたこと。どんなに快適を求めても、そんなもの叶うわけもなく、自然は都合良く振る舞ってはくれません。簡単言えば、暑いし寒いし、臭いし、危ないし。囲ってみてもすぐ溢れるし、せいぜい制御できたつもりでも自己満足みたいな結果ばかり。砂の城。それと付き合っていくしかない、とてもちっぽけな、ただの生き物としての人間のスタンスを思い知りました。
そしてなによりも、それをとりまく人の考え方や行動が自己中心的で、決して相容れず、ぶつかる事実。侮り、怒り、自分の正しさを振りかざし、いがみ合い、喧嘩して、辟易、言葉を失ったりして。結局は何も変わらず、無力さ非力さにうちひしがれる。

今回の地震、そして原発の事故もそんな感じ。
企業の責任は追求され、国策の失敗は正されなければならないんだけど、起こってしまったことは、もうどうしようもない。みんなで負債を抱えたようなものです。
事故で振りまかれた目に見えない物質の所業は、やがてつまびらかになるでしょう。それがはっきりするまでには、解る範囲、出来る範囲で行動していくしかない。でもふわっとした部分が多くて判断が難しいよ!政府や自治体、企業、流通までに対して、一連の態度でこちとら不信感に満たされてしまった。放射性物質に関して、それと付き合っていくしかない現状で「危ない。いや大丈夫」」の間を揺らぐ振り子状態。そして面倒になり、目をつぶり、まるで手からこぼれる砂に必死にすがるように今までのやり方、在り方を続けるしかないなんて結論に。さらには、考えない方法を取るひともいた。

世界は変わってしまった。

激しい被災地の方々のことを思うと、身がちぎれるような想いになる。
復興に向けて取り組んでいくが、どうしても傷は残っちゃうだろう。
色々なかたちで、この先何十年もちくちくと痛む。
全国的には、エネルギー問題のあれこれや、内外イメージの払拭の努力、税金がのしかかる。
生活においては流通してしまう食品の不安からは逃れられない。
復興はする。絶対にするのだ。けども、バランス良くやらないといけない。
児童、幼児、妊婦は守りたい。
子供が遊ぶ場所である庭の土をさらってまとめてみたんだけど、はたしてこれはいつまでこうしておくのだろう?何処に持って行けばいい? 誰が、ひきとるんだ?
タダシイオトナが態度で示さなければ、あっけなく皆の不安は膨らむよ。

ガタガタと崩れていく既存のシステム。
なによりも、さきゆきを曇らせる心の在り方。不安。
失望を感じるのは容易い。
あの日、痛めつけられたのは被災地はもとより、この国に住まう人たちのこころもかなーりダメージ受けたんだ。天真爛漫に目をつぶることもできるけど、それは意図する時以外はしたくない。

もちろんこれは直接の被害を被った人たちとは違った、とてもとても甘っちょろい立場からの「うろたえ」です。とはいえ、自分だってあの日、産まれて初めての大きさで揺さぶられ、出先から帰るに帰れず、家族や友人の安否に心底不安を抱いた。
近くの海沿いのコンビナートがある辺り、空が赤く燃えているのを目撃した。
液状化してアスファルトに広がる泥、灯りを失った信号、倒れた電柱。
地方へ家族を送り出し、ひとり、小さな灯りで過ごした。
程度の差はあれ、恐怖を感じ、失望をし、思いあぐねた寒い夜。
あの日からずっと、希望を探しているようです。

おまえはどうする?

震災当時、福島の原発がぶっ壊れた時。
かつて原発関係に携わっていたワケ知りの聡明な知人に
「とてつもないことが起きた!」「恐ろしい!」「君はアクションを起こさないのか?!」
と詰め寄られた。
彼の経験と見識から知り得た事実と恐怖を鼻先にぐいぐいと押し付けられた。
大声で
「逃げろ」「恐怖を知れ」「企業を吊るし上げろ」「おまえもやれ」
そうしろ、という。
外には出るな、外気を入れるな。
原子炉からやっかいなのが大量に垂れ流されて飛んでくる。
放射線を避けるには、ずっと風呂に浸かっているしかない。
企業の酷い有り様の告発、その他その他…。

事情を知っていたからこそ、伝えたかったのだろう。

自分には、それを現実に対応するには知識がない上に確信もない。情報も事実も曖昧だった。
ただやみくもに、その恐怖をあたりに伝染させるのは出来なかった。
ましてや、こんな自分がなんとかやれることは、家族と仲間を守ることだけ。家族を地方に送り、知り合いの妊婦と幼児を持つ親にはできるだけ離れ、防除して食材に気をつけるように伝えること。今も変わらない、最低限のアクション。

訳知りの彼にとっては最低なリアクション。のれんに腕押し、イライラしたことだろう。
やがて、東電か下請けかが作業経験者をのきなみ集めはじめたらしく、彼は現地へ向かうのか、僕の前から消えていった。
…実はどこか、彼が羨ましかった。
彼は技術者として必要とされたからだ。
この事故を止める要員として活躍できるから。

関係者や技術者や、大きな被災者でも無い、自分。
それは、とてつもない無力感だった。
薄い当事者感に、やみくもに不甲斐なさに苛まれた。

誇りに思う友人たち

幼なじみの友人がいる。
彼は元自衛官であり、数々の災害派遣に携わっていた。
御巣鷹山や阪神淡路にも出向いた強者だ。
退役をし、別の仕事に就いていたのだけれど、非常時の招集に任意で応えて被災地へ向かった。彼は少し体調を崩していたし、苦労の末に家族との生活を手に入れたばかりなのに、出かけていった。たとえ屈強な輩でも、不安もあったことは容易く理解できたのに、彼は選んで、すすんで現地に向かった。
心底、誇りに思った。
本当は行って欲しくなかったけれど、口が裂けてもやめろなどと言えなかった。だから、あえて激励を送った。
つい、少しだけ、あの知人の警告を伝えてしまったことがあった。
放射線量に気をつけてね…
彼は「大丈夫!」と言うだけ。…そう答えるのは、どこか解っていた。
あたりまえだ、自衛隊はプロ集団。素人が思いあぐねる程度なんか、はるかに凌駕してる装備と準備。士気も高く行動力もある。
それでも現地での活躍は困難を極めたんだって。

後日、現地での壮絶な体験を聞いた。
背中に赤ん坊をしょったままがれきに埋まっていた親子の姿。それを見つけた後、見守るようにずっとそばに居続けた若者。
男や女、老人や若者、ランドセルをしょったままの児童、
海岸線にがれきと見間違うほどのたくさんの遺体が打ち寄せられている景色。
家族を失い、ひとり家の建っていたところに通いつづける女の子。
被災者の、あの瞬間の話。
酷い目に会ったのに、隊員を我が子のように労をねぎらう老人達の涙。

聞きながら、うっかり涙があふれることもあった。
彼は今も後方から支えている。

自分の仕事関係でも速攻現地に赴き、がれきを片付けたりする知り合いもいる。
普段はデスクワークだったりするのに、徒党を組んで速やかに行動するその姿。
これも心底、誇りに思った。

そして

さあ、自分はどうするのだろう?
なにができる?

家族の生活を守らなければならない。
愛しいひとたちがここにいて、その支えにならなければならない。
責任を持って、今関わっている仕事を納めなければならない。
今は、ここを離れることができない。

何も出来ない自分。
免罪符が欲しいのか。
即行動できるひとたちに憧れてしまう。
チャリティに参加すること、なけなしの募金活動、仕事で経済を回すこと。
今出来ることはその程度だけど、心を込めてやろう。そう考えていた。

現地で作業にあたっている人たちにエールを。
被災者が笑顔を取り戻せるきっかけになるような仕事に携わろう。

ハードが整ったらソフトが必要だ。
これからの何年間、自分のやらなければならないことがある。

壊れたもの、失ったものは仕方がない。
片付けて作ればいい、また創って手に入れればいい。
どんなに時間がかかろうとも。

その原動力、気力のようなものをどこかからひねり出さなければならない。

明日のこと、やがてくる未来のこと。
シニカルなポーズで悪態をつくような真似は、もう出来ない年齢だ。
ポンコツなアダルトチルドレンは自分を棚に上げがちだけど、切り替えるこころの準備はできたよ。

こちらが出した汚れたものを取り除く努力をすることで
やがて修復されていく、自然の力もある。

かつてどこかの水辺で目の当たりにした景色を思い出す。
短時間で人がしでかしたことを、長い時間をかけて自然が元に戻していく。
その助けを、ちっぽけでも、やっていこう。
なにより、我々のこころのありかたを見つけるために、やっぱり
「とんちんかんでも明るい未来を目指す」のが、自分の仕事だ。

人は弱く儚い。でも強い。
滑稽であり、だけど美しくもある。
惨めでもあり、時に神々しくもある。

その姿すべてを誇りに思い、讃えていく。
それが自分のやるべき仕事、なのだ。と思い込むことにする。



チンポコン!
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by boomee | 2011-08-06 09:50 | メモ